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吉祥天女

吉祥天女を読み返した。
何度も読み返している。
やっぱり吉田秋生の作品は切なくて綺麗だというのが一番の感想。

しかしながら、吉祥天女は毒々しいまでの美しさを備えた女子高生が、次々と人を殺して行くというどちらかというと血なまぐさい話のはずなのに。


以降勝手な解釈と余談

吉祥天女 (1) (小学館文庫)吉祥天女 (1) (小学館文庫)
(1995/02)
吉田 秋生

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切なさがどこから来るかというと、やはり小夜子という存在の悲しさにある。

その美しさ故、幼少期に見知らぬ親父にレイプされ、家庭では両親が無能であるが故に色々な事から守ってもらえない状況にある。
小夜子は自分の身を守る為に、子供では居られなかった。
生きて行く為に戦わない無ければいけなかった。
そして、今はそうならなければいけなくなった原因に復讐をしている。
しかし、それだけで十代の少女がそんなことをするというのはちょっと不自然であるような気がする。

まるで魔性の女であるかのような小夜子も、最後は好きだった少年の死に涙を流す所だと思う。
完璧である小夜子もやはり、十代の少女なのだという事がよく分かる。

終盤に由似子の兄が、小夜子のことを奇跡のようだと表現するシーンがあるけど、そう表現するのは何故なのか引っ掛かっていた。
確かに小夜子は美しく、完璧な能力を持っているかもしれないけど、それだけでそのような表現をするのは大袈裟だと思った。
奇跡のようだというのは、彼女がまだ瑞々しい魂を持ち復讐以外の目的を持っていたからでは無いだろうかと今回読み返して思った。


もしかしたら、彼女はライ麦畑のキャッチャーをやっているのかもしれないなー。
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